先日、ベトナムのハノイとニンビンを訪れました。今回の旅は、単なる観光としての楽しさだけでなく、自分のこれまでの価値観を根本から揺るがすような深い学びがありました。
現地でまず驚いたのは、その圧倒的な物価の安さです。しかし、今回の旅で私の視界を真に開かせたのは、買い物の安さではなく、現地での「外食」という経済活動のあり方でした。
少しでも参考になれば幸いです。
なぜ日本は、これほど「ギリギリ」なのか
現地での外食体験を通じ、私は日本の経済環境との間に、ある決定的な違和感を覚えました。
ベトナムでは、非常に安価な価格設定でありながら、料理は驚くほど大ボリュームで提供されます。300円程の料理で1人前以上の量かとおもうほど多いです。
一方で、物価の高い日本では、それよりも遥かに高い金額を払っても、提供される量は控えめです。
もちろん、経済環境や物価水準の違いはあります。しかし、あのベトナムの「気前の良さ」に触れたとき、一つの確信が脳裏をよぎりました。
「日本社会は、余白を削ぎ落とすことでようやく成立しているのではないか?」
コストを削減し、効率を極限まで追求し、ギリギリの利益率で回る仕組み。私たちはいつの間にか、「節約すること」「切り詰めること」こそが美徳であり、生き残る術だと信じ込まされていないでしょうか。あの旅先で見た景色は、私の心に「このまま切り詰めて生き続ける先に、本当の豊かさはあるのか?」という重い問いを投げかけました。
「節約」という名の防衛本能の限界
私はこれまで、いかに固定費を削減するか、いかに無駄を省くかといった「防衛」のスキルを磨くことに重きを置いてきました。
しかし、ベトナムで見た「余裕のある社会のあり方」は、私に別の視点を突きつけました。どれだけ懸命に切り詰めても、節約によって得られる利益には、物理的な限界があります。1円を削るために時間と精神力をすり減らす生活は、成長を止めることと同義ではないでしょうか。
本来、私たちが向かうべきは「支出の削減」という防衛ではなく、「収入を上げていく」という攻めの姿勢です。節約を目的化するのではなく、いかに自分の付加価値を高め、収入を増やし、余裕を生み出す側の人間になるか。思考の軸を「守り」から「攻め」へ、完全に切り替える必要性を痛感しました。
企業への投資でもそうですが、今までデフレ時代で低金利の時代でコストを切り詰めて、量で戦ってきた企業や、低金利下でレバレッジを利かして成長してきた企業は今後は今のままで成長していくことは厳しいです。
「時間を買う」という最強の投資判断
この「攻めの投資思考」を体現したのが、今回の旅での「Grab」の活用です。
移動時間を歩いて消耗するのではなく、安価な料金で配車サービスを利用します。移動中は休息にも、仕事にも、思考にも充てられます。私は「移動料金」を払うことで、「快適な時間」と「生産的な時間」という資産を買い取ったのです。
これは日常生活でも同じです。例えばネットスーパーを積極的に使うのも、単なる贅沢ではありません。レジに並ぶ時間や移動する時間といった「コスト」を買い取り、その分を仕事や学習という「自己投資」の時間に充てる。
節約思考が強い時は「送料がもったいない」と考えがちですが、投資思考を持つ今は「その時間で何を成し遂げられるか」を計算します。この転換こそが、人生のパフォーマンスを左右するのです。
余裕を持つ者が、次のステージへ進める
今回の旅で私が得た最大の収穫は、味や観光地ではなく、「余裕を持つ勇気」でした。
ギリギリの状態では、新しい挑戦をする余力すら生まれません。しかし、時間を買い、無駄をそぎ落とし、自分の価値を上げることにお金を回せば、そこに新たな「余白」が生まれます。その余白こそが、次の挑戦を呼び込み、さらなる収入増へと繋がる好循環を生むのです。
「切り詰め、削減し、耐え忍ぶ」という古い常識は変えないといけないです
これからは、自分の時間を最も価値のあることに投じる「投資家」として生きていきたいと考えています。今回のベトナム旅行は、私の生き方をより合理的で、より豊かな方向へと書き換えてくれる、素晴らしいターニングポイントとなりました。


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