お金を自分のアイデンティティにしてしまった人たちの末路と、本当の豊かさについて

経済的自由に向けて

はじめに:画面の向こうの発信者に覚えた「決定的な違和感」

最近、以前からよく見ていたYouTubeの投資・資産形成系チャンネルを見ていて、言いようのない違和感と、強い虚しさを覚えることが増えました。

かつては、地道な節約術や合理的な投資理論、日々の生活を少しでも良くするための実践的な知恵を、誠実に分かりやすく伝えてくれていた発信者たち。しかし、登録者数が増え、自身の資産が積み上がるにつれて、その言葉遣いや佇まいがどこか決定的に変わってしまったように感じられるのです。

いつの間にか画面に漂う「自分はお金を持っている側だ」という無意識の選民思想。 「資産〇〇万円以下の人は〜」「これを知らないと一生マス層のまま」といった、他者を資産額でジャッジするような言葉の数々。

発信者自身が「お金」を自らのアイデンティティにしてしまい、同時に視聴者もまた「お金を持っているあの人」として偶像崇拝し、お互いに資産額という単一の物差しで人間を測り合っている。

今回は、SNSやYouTubeに蔓延する「資産ピラミッド信仰」の正体を解き明かしながら、資産形成において私たちが決して見失ってはならない「人生の目的」について考えてみたいと思います。

少しでも参考になれば幸いです。

1. そもそも「資産ピラミッド」とは何なのか?

投資界隈で毎日のように擦られている、あの有名なピラミッド図があります。

  • 超富裕層:純金融資産 5億円以上
  • 富裕層:1億円以上 〜 5億円未満
  • 準富裕層:5,000万円以上 〜 1億円未満
  • アッパーマス層:3,000万円以上 〜 5,000万円未満
  • マス層:3,000万円未満

YouTubeのサムネイルやSNSの投稿で「目指せアッパーマス層!」「準富裕層への到達ロードマップ」といった文脈で頻繁に使われるため、まるで「現代社会の階級制度」や「人生の戦闘力チャート」のように捉えられがちです。

しかし、このピラミッドの出所を冷静に思い出す必要があります。 これは野村総合研究所が定期的に発表している「純金融資産保有額別の世帯数推計」です。

本来の目的はきわめてビジネスライクなもので、「銀行や証券会社などの金融機関が、どの資産規模の世帯に向けてどのような金融商品やプライベートバンク業務を提供すべきか」を分析するための市場セグメンテーション(統計データ)にすぎません。

そこに「人間の優劣」など1ミリも定義されていませんし、誰が上で誰が下かというヒエラルキーを示すためのものでもありません。単なる「マーケティング上の分類」を勝手に人生の価値基準に変換し、勝手に登らなければならない階段だと思い込んでいるだけなのです。

2. 「お金=アイデンティティ」になった瞬間に失われるもの

資産が増えること自体は、選択肢を増やし、将来のリスクに備える上で素晴らしいことです。しかし、最も危険なのは「お金」を自分のアイデンティティ(自己存在の証明)にしてしまうことです。

お金をアイデンティティにしてしまった人は、例外なく次のような思考の罠に陥ります。

  1. 自己評価の根拠が「数字」しかなくなる
    自分の価値を「保有資産額」や「年収」に置くため、数字が増えているときは優越感に浸れますが、相場が暴落して資産が減ると自己否定に苛まれます。結果として、常に数字を誇示し続けなければ精神の安定を保てなくなります。
  2. 他者を「資産の多寡」でしか見られなくなる
    自分を資産で測っている人間は、他人のことも資産でしか測れません。「あの人はマス層だから視野が狭い」「あの人は富裕層だから人格的にも優れている」といった、短絡的で歪んだ人間観に染まっていきます。
  3. 手段が目的にすり替わる
    本来、お金は「豊かな時間を過ごすため」「大切な人と笑って暮らすため」の単なるツール(手段)です。それなのに、「ピラミッドの上の階層に行くこと」そのものが自己目的化し、日常の楽しみや人間らしい感情を犠牲にしてまで数字の積み上げに執着するようになります。

YouTubeで「人間が変わってしまった」と感じる発信者たちも、おそらく悪気があってそうなったわけではないのでしょう。数字の魔力に当てられ、いつの間にか「お金を持っている自分」という鎧を着込みすぎて、中身の人間性が見えなくなってしまったのだと思います。

3. 身近にある「数字に縛られない豊かさ」のリアリティ

少し視野を広げて、自分の身の回りの現実世界を見渡してみてください。

例えば、私の身近な親族にも、若くして結婚し、子どもを授かり、マイホームを購入し、ファミリーカーに乗って日々の生活を懸命に営んでいる人たちがいます。

資産形成界隈の厳しいロジック(いわゆる「持ち家は負債」「車は浪費」といった合理化主義)から見れば、彼らは金融資産を何千万円も積み上げているわけではないかもしれません。資産ピラミッドで言えば、ごく普通の「マス層」に位置付けられるでしょう。

しかし、週末に子どもと公園で遊び、家族で笑い合い、日々の小さなイベントに喜びを感じながら丁寧に暮らしている彼らの姿を見て、「この人たちは豊かではない」と誰が言えるでしょうか。
私は親族な幸せな姿を見てですね、幸せそうで良かったなと思いました。
仕事も大変だと思いますし、お金も稼がないといけないとも思います。それでもお金がないからといって決して不幸せでもないと思いますし、勝ち組とか負け組とかそういうのはまったくもって論外の話ですし、家族との豊かな時間を作っているのをみて、正直うらやましいなと思いました。また同時にもっと幸せになって過ごしてほしいとも願い始めました。
私も資産の多寡で人のことを判別していたら、その先10年20年先も同じ考えで暮らしていたら
おそらく人間としてどこかかけている人間になってしまっていたのかなと思います。

彼らは「金融資産のピラミッド」を登ることには興味がないかもしれませんが、「人間としての幸福な時間」「家族との確かな絆」「実生活の手触り感」という、金融市場では絶対に買えない確固たる豊かさを持っています。

資産ピラミッドの数字ばかりを追っていると、こうした「実体のある生活の尊さ」が見えなくなってしまいます。画面の中の架空の階級に一喜一憂し、すぐ隣にある本質的な幸せを見落とすことほど、本末転倒な生き方はありません。

4. 資本市場との「健全な距離感」を取り戻す

では、私たちは資産形成やお金と、どのように向き合っていくべきなのでしょうか。

答えはシンプルで、「お金を人生の主役に据えないこと」です。

  • お金は「道具」にすぎない お金は、人生という劇を演じるための舞台装置や道具にすぎません。道具箱の中にどれだけ立派なノコギリや金づちが入っているかを競い合っても、それを使ってどんな温かい家を建てるのかが決まっていなければ意味がありません。
  • 自分独自の「価値基準」を持つ 他人が作った「資産ピラミッド」や「FIREの基準」に自分の人生を当てはめる必要は一切ありません。 「美味しいものを食べること」「大好きな本を静かに読む時間」「体を鍛えて健康でいること」「大切なパートナーと心地よい空間を共有すること」――。自分にとって何が最大の幸福なのかを定義できている人は、他人の資産額を見ても心が揺らぐことはありません。
  • 数字を誇示するコンテンツから適度に距離を置く もし、特定のYouTubeチャンネルやSNSのアカウントを見ていて「モヤモヤする」「マウントを取られているようで嫌な気分になる」と感じるなら、迷わずミュートや登録解除をすることをお勧めします。そうした発信が放つ承認欲求のノイズは、知らず知らずのうちにこちらの心も蝕んでいくからです。

おわりに:自分の人生の主権を、お金から取り戻そう

資産形成に取り組むこと自体は、未来の自由を守るための賢明で価値ある行動です。コツコツと支出を最適化し、余剰資金を投資に回して資産を育てる姿勢は、決して否定されるべきではありません。

しかし、どれだけ資産規模が大きくなろうとも、「人間としての価値は、通帳の残高とは何の関係もない」という当たり前の事実だけは、絶対に手放してはならないです。

他人が勝手に作ったピラミッドの何合目にいるかなど、どうでもいい。 誰かに見せびらかすための数字ではなく、自分と大切な人が今日という一日を心穏やかに、納得して過ごせているかどうか。

お金で人の上下を判断しては駄目だし、お金は道具であって、お金のために生きるのは違います。
お金を増やすことを楽しむことは私は好きですが、だからといって人を資産があるかないかで生きて行くのは違うなと思いました。

使う時には使って、大事な人との時間やお祝いをしたり、食事をしたり、経験をしたり、物を買ったり、人によってお金の使い方は違うと思います。正解不正解は人によっても変わりますし時代によっても変わります。あるい程度お金を貯めればそこまで働かないで自分がやりたいことだけやる人もいるし、働き続けて社会に貢献して、スキルを磨き続ける人もいるし、仕事にやりがいがあって働く人もいるし、ぐーたら寝て起きても生きていることで、それらも人の上下の判別にはならないです。

自分自身はお金を使っていない時期はありましたが最近では海外旅行に行くようになったり、家族にお祝いの品物を買ったり、私用の靴を10年以上ぶりにあたらしく買ったりなどするようになりました。
昔よりかはすこしロボットじゃなく人間味が出るようになってきたなと思うこの頃です。

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